隅っこの部屋

生誕300年記念 若冲展

私が若冲展を見に行ったのは、まだ始まってから3日目の4月26日。
40分待ちで入り、中に入っても混雑の中での鑑賞だったが、
今にして思えばまだ少しはましだったのかもしれない。
TVなどで特集番組がどんどん放送された影響か、5月12日には180分待ちで、
展示入れ替え後の『果蔬涅槃図』鑑賞は諦めてしまった。
その後更に混雑は増して行ったとか。今日が最終日だがどんな様子だっただろうか。

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フロアLBF
基本、人垣は二重。『動植綵絵』やプライスコレクションなどの見所が上の階にあると分かっていて、
この人混みの中、どのくらい粘ってこのフロアの絵を見るか、迷うところだ。

最初にしっかり足を止めて見たのは
○『隠元豆・玉蜀黍図』(4)
  元々墨の絵が好きというのもあるが、表現方法や技法が目を引いた。

○『糸瓜郡虫図』(5)この展覧会で一番最初に「こんなに細かいんだ」と思わせてくれる絵。
  後で出てくる予定の池辺群虫図に少し通じるか。

○『雪中雄鶏図』6番と8番と二つあり、年代はどちらも「18世紀」としか書いてなかったが
  8番の方が後から描いたのでは、と思った。鶏のポーズも8番の方が個性的だし
  笹に乗った雪も8番の方が重みまで感じられていい。
  得意の鶏はいくつも描いていくうちに、もしかしたら若冲にとっては
  安心して自由自在に描ける便利な対象になっていて、実際に色々試したり神経を注いで工夫したのは
  背景の方かも。
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○『虻に双鶏図』(24)
かわいい。
アブを見上げる手前の鶏の"キャラクターとしての面白さ"がすぐに目に付くが
やがて奥の、あまりに単純な後姿が気になり出しそちらばかりに目が行くようになる。
「何を見て何を考えているのか」などつい想像したくなるのはこちらの方だ。
話題の"筋目描き"がはっきりわかる。
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○『玄圃瑶華』(32)
  これは本の表紙とか何かの目的に使われたのか、「何」なのか聞きたくなるような
  白と黒の強烈なシリーズ。植物と虫の配置、画面の切り取り方が面白く、
  図案辞典を見ているようだ。
  これを更におしゃれにしたようなのが
○『花鳥版画』(33)で、着物の柄か風呂敷にして持っていたい気持ちになる。
  お気に入りは33-6「鸚鵡図」ほしい。部屋に飾りたい。
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フロア1F
いよいよ動植綵絵のコーナーに。人垣は三重になっていた。
言っても仕方がないがやはり言いたい。混んでいる。
人垣は基本三重で、少し粘れば二重の位置に、かなり粘れば一番前に行けるものの
それを30回繰り返す気力がなかなか湧かない。
とりあえず、少しは人が少なく見えたので番号的には後半に当たる左側へ。

○『菊花流水図』2-29 
  2001年の初回放送か数年後の再放送で見たか忘れたが、NHKで放送した
  「神の手を持つ絵師 江戸の鬼才画家・若冲の不思議世界」で、ジョー・プライスさんが大変こだわっていた絵として
 記憶していたのでじっくり見た。(※1)
 「菊の花の立ち姿」としての現実感はまったく無い。配置と流れと構図を見せる絵だ。
  菊の花がフグ刺しのよう。きっと検索すれば同じような感想を持った人がたくさんいるのでは。
  どうせなら本物のフグ刺しを見て「若冲の菊のよう」と言ってみたい。
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○『蓮池遊漁図』2-27
  蓮の葉と花の枠を使った額縁の中に魚が泳いでいるような絵。池をのぞき込んでいるようには見えない。

○『諸魚図』2-25
  名前の通り"諸魚の図"で、生きている魚が泳いでいるようには見えない。

○『池辺群虫図』2-23
  場所としてのリアルさよりも「対象の生物を展示する方に力を入れている」タイプの絵
 (群魚図や貝甲図など)の中では断然面白く、いつまでも見ていられる絵。人気もあるのではと思う。
 本人も楽しみながら描いたのでは。

○『芦鵞図』2-21
  鵞鳥の白がひたすら引き立つように描かれ、墨で勢いよく描かれた草の背景とのコントラストが面白い。

○『雪中鴛鴦図』2-19
  右の鳥に視線が行った瞬間、その鳥になって絵の中の世界を感じられたような気がした。
  構図と、その生き物の描かれた場所にもよるのだろう。
  目の前に立って、全体像を見なければ分からない、こういう体験こそ生で絵を見た甲斐そのものだ。
  他にもそういう絵がありそうだと、ここで気付いた。
  ここでそう思ったからと言って、この人混みで全ての絵の前でそうできるかどうか。

○『秋塘群雀図』2-18
  雀が飛んでいるようには全く見えない。尾形光琳の燕子花図屏風のようにコピー&ペーストしたみたいな描き方だ。
  狙いかもしれないが、どうしてその表現を雀で選んだのか分からない。魚以上に不自然だ。

○『芍薬群蝶図』2-17
  こちらも蝶が飛んでいるようには見えないが、蝶は模様として描かれる事も多いので、あまり変には感じない。
  中央下にいる小さな黒っぽい蝶に視線を移したとたんに、先のように蝶になって中に入ったような感覚になったので、
  この絵の主役は上の目立つ蝶ではなくこちらの小さい蝶に決定。
  この(一見そう面白くもない)絵でここまで感想を持てたのは次の群鶏図を見るための待ちが長かったためでもある。

○『群鶏図』2-15
  間違いなく近付くのが一番大変だった絵だ。
  皆、せっかく来たからにはこれだけは全体像を見たいと思ってここで粘るのだろう。
  あまりの人の動かなさに心が萎えそうになったが、仕方ないので私もがんばって見た。
  全体が見られた時間は少なかったものの、見えてきた時には本当に「奇麗だ」と思った。
  それ以外の感想を持つのが色々な意味で難しかった。

○『牡丹小禽図』2-4
  この日ベスト2の収穫の絵。
  まともな感想を持つ環境になかった「群鶏図」を除けば、動植綵絵の中では最も心を動かされた絵と言えるかもしれない。
  元々映像や画像で見た時には他と比べて特別な印象も持っていなかったが
  全体像を目の前で見ると、中央の鳥になって牡丹の海の中を泳いでいるように感じる。
  好き、というのとはちょっと違う気もするが、生で見ないと分からない感覚というのを一番味わえた絵だと思う。
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フロア2F

○『百犬図』15
  たくさんの子犬が描かれていて、仕草は可愛いのだが顔が可愛くない。黒目の部分が小さいせいだろう。
  ただ、一匹だけ妙に可愛く思えるのがいた。中央右あたりの、ちょっと怒りんぼ眉付きに見える黒犬だ。
  もしかすると、見る人によって「この一匹」、というのが見つかる絵なのかもしれない。
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○『蓮池図』36
  私的にはこの日最高の一枚だった。NHKの番組で紹介されていた時には華やかな鶏の絵の襖の裏側で
  枯れた蓮の寂しい情景中に新しい蕾の希望が描かれた絵だという事だったが、
  一目見た瞬間に、全体の儚い雰囲気がとても美しく、相当傷んでいるようにも薄汚れているようにも見える白地さえ、
  霞んだ空気が覆っているように感じた。
  特に一番左の一枚がいつまでも眺めていたい気持ちになった。
  図録を見てもTVで見てもこの感じは伝わらないだろう。
  この画像は襖だが、会場では掛け軸の形だった。
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○『像と鯨図屏風』39
  大胆。好き。

○『月梅図』40
  同じような題材の絵の中では一番奇麗に思えた。梅の花が木に灯る光のよう。

○『菊花図』41
  動植綵絵でも思ったが、若冲の描く菊は全体としての形が独特で不思議だ。
  ポンと玉が二つ浮かんでいるようで、実際に菊に対してそういう印象を持っていたのかも。

○『葡萄図』42
  以前TVで、プライスさんが一番最初に一目ぼれした若冲の絵だと紹介していた気がする。
  塗り残しの白い線で仕切られたグラデーションの技法が、最初の方で見た隠元豆と同じで
  美しく、好きな墨絵だ。

○『鳥獣花木図屏風』48
  群鶏図に並ぶ人混みで、一旦見るのを諦め、
  5時を回ってからもう一度鑑賞に戻ったのだが、やはりちょうどいい距離から
  全体像を見るのは無理だった。
  少しずつ見たかぎり奇麗だという事だけは感じられた。群鶏図と同様、疲れと人混みでそれしか
  感じられなかったのが残念。

今回の展覧会に誘った知人が同行できなかったため、余ったチケットを使って入れ替え後に『果蔬涅槃図』を
見に来るつもりでいた。あまり近付かなかった『仙人掌群鶏図襖絵』(蓮池図の裏側)はその時によく見ればいいかと、
適当に流してしまったのを少し後悔している。
いずれにせよ、これ以上に混んだという日程後半はとても絵を鑑賞する環境だとは思えない。
もう少し何かうまい方法は無いものだろうかと思う。
ともあれ、おかげで見られた絵とそうでない絵がはっきりしたので、バラバラでなら別の機会に見る事もあるだろう。

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若冲に関するTV番組について

百犬図を特集した5/7日放送の「美の巨人たち」より

★50代の若冲は、動植綵絵を描き切ったら後は余生と考えていた。
動植綵絵を寄進し、自分の墓を建て、
墓石に銘を刻んでほしいと相国寺の禅僧、大典顕常に頼んだ。

大典が刻んだ銘の内容は以下のようなものだった。

動植綵絵を超えるものをこの先描くのは無理かもしれない ならば
僅かな米代と引き換えに水墨画でも描いて暮らすと若冲は言うが
それはあまりに後ろ向きというもの
御仏がこの世の全てを作られたように 絵筆であらゆるものを描き尽してこそ
安らかな気持ちでこの墓に眠れるのではないか

これを転機に、若冲はますます自由な画風であらゆる絵を描いていったという★
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私ごときが失礼ながら「さすがいい事言う」と思った。才能ある人にはこれくらい言ってあげないと。

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(※1)
解説部分と岸部一徳さんが若冲を演じた部分で構成された番組
「神の手を持つ絵師 江戸の鬼才画家・若冲の不思議世界」(2001年)

ジョー・プライスさんの、動植綵絵に関係する部分の出演シーンは次のようなものだった。
                ☆  ☆  ☆
29才の時、白黒の写真集で動植綵絵の存在を知り、『菊花流水図』に惹きつけられた。
動植綵絵を見るために何度も日本に通ったが皇室が所有する御物であり
なかなか願いは叶わなかった。
そして、ようやく年に一度の虫干しの時になら、との機会を得て7年越しに願いがかなった。

プライスさんの感想
 穴が開くほど写真を見ていた
 構図の素晴らしさと優雅な川の曲線に魅了されていただけで本当の力を知らなかった
 びっくりした。目の前にこの絵が現れた時ただただ感動でいっぱい
 7年間も思い続け夢にまで見ていた作品だった
 色彩にあふれ色が色が爆発するようだった
 青く輝く川、菊の花の透けるような白


相国寺では年に一度すべて方丈の間にかけられ、160畳の壁面を埋め尽くす。
菊花流水図の前に座ったプライスさん。「全ての絵が揃うのを見たのは初めて」
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  1. 2016/05/24(火) 23:06:18|
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黄金町バザール2015

黄金町バザールに訪れるのは2010年、2014年につづき今回で三回目。
過去二回は、サポーターとして参加している友人と一緒に回ったので、作品について解説して
もらいながらじっくり観賞したのだが、今回は前半は一人で回り、途中で友人と会う事になった。
事前に手にしていたパスポートの中で作者について軽く紹介されていたのだが、
そこを読み込まずに見始めたので、ちょっと変わった(邪道な?)楽しみを見つける事になった。

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黄金町駅側から日ノ出町駅方面へ向かって回り始めると、まず作品の所に解説文の類が一切無い場所
が多い事に気付く。
時間帯とめぐり合わせで、始めのうちは建物の中で人に会う事も無く、道を歩く間もほぼ一人だけ。
狭い間口の扉を開けて、言わば勝手に人のお宅(会場なのだが)に入ると電気も点いていて(会場なので)
普通の建物のはずなのに非日常の空間がある。
いくつもそんな場所を渡り歩くうちに、どこか"奇妙な世界"の街に入り込んで彷徨っているような気持ちになり、とても不思議な体験をしている感覚を持った。
「何この時間、シュールだ・・・病み付きになりそう」と心の中でつぶやきながら、説明一つ無いインスタレーションをめぐる時間を楽しむ。
途中で来場者に会ったり受け付けに人がいると、少し夢から覚めたような気分になった。

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半分ちょっと見たあたりで友人と会い、そこから後は、作品に関する情報をもらいながら見て回ったので、
前半のふわふわした感覚とは違った落ち着いた観賞となった。

作者の意図が分かった上で見ると、アーティストが本来表したかったものが浮き出てくる。
解説がある展示場と無い展示場と両方あり、無い場所というのは自由に受け取って欲しいという思いもあるのかも?
コミュニティーや街づくり、人との交流がテーマとしている場所で、無人の中、作品としての空間にだけ向き合うのと、作品の背景を知って話をしながら見るのと、どちらが作者の本意にかなうところなのか、少々考えさせられた。

どちらにしてもインスタレーションはその人の内面に入り込むような感覚を強く感じる展示物だと思うので、
この日感じた事そのものが作者との交流・対話と言えるのかもしれない。


黄金町バザールは11月3日まで
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  1. 2015/11/01(日) 14:12:02|
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ヴァロットン展

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ヴァロットン展(三菱一号館美術館)

「日曜美術館」と「ぶらぶら美術博物館」で予習してからの鑑賞。

とにかく全体的に「構図の力」を楽しめる美術展だった。
それが一番際立っているのは白黒の版画なのは事前の予習どおりだが、油絵の方からもそれを感じた。

画家の家族の食卓を描いた「夕食、ランプの光」(NO.48)などは黒の使い方がシリーズ物の版画に近い
感じがする。
この絵と、奥さんの家族を描いた「ポーカー」(NO.53)は近い場所に飾ってある。
描かれている登場人物(妻と連れ子や妻の親戚)への複雑な感情や空気はTVで放送された解説通り
だが二つとも色、形が「きれい」だというのが生の絵を見て感じた印象。
マイナスの感情を表すのに不快な色の組み合わせを使うのはよくある事かもしれないけれど、そういう
手段を使わず代わりに明暗と表情と構図を駆使している。
前半に飾ってあった女性のヌードはそういう意味での綺麗さが感じられなくて私は好きではなかった
けれど全体を通しては色の組み合わせやメリハリがきれいな絵が多くて好感を持った。

そういった冴えた綺麗さで最初に足を止めたのが「月の光」(NO.29)。
この絵はきっと売店でハガキになっている!
好きな人も多いに違いない。黒々とした地平になんとも言えない鉄色の空、金泥を使ったかのような
月と雲と鏡のような川と。暗くて、心地よいと思わない人もいるかもしれないけれど、間違いなくきれい
で引きこまれる。

版画は、これを見ると、ヴァロットンがいかに「上手い」か良く分かる。
男女の色々なシチュエーションを描いたシリーズ(No.35~No.45)は、構図はもちろんだけど、やはり
ポーズも含めた表情が大事だなあと思う。奥さんの支度を待つ旦那さんのイライラ感とか!
そして題名。題名をきちんと考えて描き始める、あるいは付けるのもテクニックだなぁ…としみじみ。

群集をかたまりの形としても一つ一つの人間としても面倒くさがらずに描く事、とか色々と勉強になる。

版画の中に「オクターヴ・ユザンヌ」(No.59)という肖像(というか似顔絵?)があったが、この人は
ヴァロットンの木版を最初に評価した人、という解説があり、だからだろうか
他の木版の人物と比較して似顔絵としてとても丁寧で、知らない人にもかかわらず「似てる!」と
言いたくなるようなものだ。こういう部分に好意的な感情が現われている気がして面白い。

後半の方に行くと"マティエール(質感)の豊かさ"という章がある。だが、ここで紹介されている物よりも、
前半の最初の方にあった「帽子を持つフェリックス・ヤシンスキ」(No.4)という肖像画の方で質感については
感心することしきりだった。
服のマットな黒とシルクハットの艶のある黒の表現がすばらしくて、「この肖像画で描きたかったのって
結局人物よりもこの黒の布の質感の違いなんじゃ?」と思わずにはいられなかった。

さて、今回の美術展の呼び物でもある「ボール」(No.22)だが、事前に色々見すぎたせいか、
生の絵を見たからといって改めて思う事もあまり無かった。横からと上からと二つの視点が見せる効果に
ついて色々と解説があったが、手前の部分を俯瞰にして遠くの物を横から見せる事は
(少々極端で横長の絵ではあまり無いかもしれないが)それほど不自然とは思わない。
でも日曜美術館で角田光代さんが書いていた物語はちょっと怖い感じがとてもよかった。ヴァロットンの
展覧会の絵を題材にもっと色々な話を聞かせて欲しいくらい。

手前を俯瞰にする表現ではもう一つ「白い砂浜、ヴァスイ」(No.31)が高さ、広さ、遠さがよく現われていていい感じ。

色々と刺激を受ける展覧会で、参考になる事も多く、面白かった。

9月23日まで

  1. 2014/09/12(金) 16:59:11|
  2. 美術展・展示会など
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ターナー展

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ターナーの初期の緻密な水彩画と、晩年の輪郭もおぼろな油彩画と、共通点があるとしたら
描かれている空気感だろう。光や英国特有の気候を表現する事にこだわっていた事は諸解説にもある。

今回、順路に沿って見ていくうちに突然気付いた。
月が印象的な小さめの絵「月光、ミルバンクより眺めた習作」で、その月の光の近くの町のシルエットに
視点を固定し見ていた瞬間に、そこに居るとしか思えないほど絵の中に引き込まれたのだ。
その近くに展示されていた「嵐の近付く海景」でも、船の手前の荒れた波の面を見ている時に
その場にいるような感覚にとらわれた。
ターナーの絵は、どうやらその空間に中に入れるようだ。
人の視界というのは、はっきりと焦点を合わせて見られる範囲は意外と狭いという。だからその絵の
一部分をじっと見ていると、周辺部分の情報はそぎ落とされて、
空気感を描くのに長けたターナーの絵では、そこに包まれたような感覚になるのかもしれない。

2007年にBSハイビジョンで再放送された(本放送は2003年10月)「世界美術館紀行」のテートブリテン編、
"渦巻く大気 ターナーのスケッチ帳"を見て以来、ずっとターナーが好きと言ってきたのだが、実際はなかなか
本物のターナーを見る機会は無かった。
昨年の「巨匠たちの英国水彩画展」につづき、今回二回目のターナー。しかも本格的な展覧会で、
ようやくターナーのほんの一部が分かったような気がした。
「世界美術館紀行」のテートブリテン編は、ターナーに触れるには本当にいい番組で、
湖水地方などの風景とターナーの絵がどちらも美しく、そのスケッチブックは本当にすばらしかった。

この機会に「世界美術館紀行」の録画をもう一度見返すと、18世紀末、イギリスでは国内旅行が盛んに
行われるようになり、挿絵付き旅行書が多く刊行され、その元となる絵を描くという仕事が画家の新たな
収入源となったとの事で、ターナーの国内旅行スケッチが紹介されていた。
その絵も今回の展覧会では展示されている。

ターナーの絵を見ていると、当時の画家の、あるいは旅行書を持った人達の旅の空気まで楽しめる気がしてくる。
風景を伝える事を目的の一つにした絵も多いので、当時の人達がこの景色を見ながら旅をしたのだと
思って見るのは自然な事だろう。

ここまで緻密に塗っていて、どうして途中で色付けをやめている?というスケッチもたくさんあり、
一方で、全体の雰囲気だけをつかむ為の粗いスケッチも多数。こんなのまで飾っていいのかというような、
作品とも言えないようなものも多数。
図録によると、ターナーは大量の絵を描きながら未完の作品も多いそうで、全体を見ればそれも納得。
どれが習作でどれが未完でどれが実験なのか、解説が無ければ分からないものもある。
絵の注文を取る為の見本の習作は空気感だけを描いたようなもので、
この段階だけでも表せているものがあると掴んだから晩年のような作品が出来たのかも?

最後の部屋に飾ってあった「湖に沈む夕陽」はほぼ形のある物は何も描かれておらず、ただ夕陽と思われる
白いかけらが左の少し下にあり、そのかけらも歪んだ絵の具の点だ。
でも正面に立って絵の真ん中を見つめていると、視界の端でそのかけらが太陽らしく輝いて見えて来る。
一部を見つめて周辺を感じるこの方法、ターナーの絵の楽しみ方の一つとしておすすめしたい。


ターナー展の公式HPは→こちら

  1. 2013/11/23(土) 16:38:43|
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